1947年 (昭和22年)
上司「まずはエンジン設計しろ」
彡(゚)(゚)「おかのした」
Honda最初のオリジナル製品として市販される、Honda A型である。
http://www.honda.co.jp/50years-history/limitlessdreams/atype/
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上司「すげぇパワー!最高や!自慢しに浜松走り回るやで!」
上司「盗まれてもうた」
彡()()「」
1949年 (昭和24年)
上司「次はオートバイや!自社設計やで!」
彡(゚)(゚)「おかのした」
ホンダ ドリームD型
1949年8月に発売された本格的オートバイでドリームシリーズ第1号である
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販売当初は爆発的に売れたもののすぐに不振となり後述するE型へモデルチェンジされた
とりあえずパワーだけ求めたろ!
SS500爆誕
オーナー「はぁ~(糞デカため息)つっかえ」
オーバーヒートや焼き付きが頻発して起こったのだった…
彡()() 「」
上司 「ぼさっとするな!」(スパナナゲー
上司「今すぐ改良しろ!」
彡(゚)(゚)「おかのした」
1951年(昭和26年)
上司「4stエンジンなんかで大丈夫なのか?」
ドリームE型
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%9B%E3%B3%E3%80%E3%BB%E3%89%E3%AA%E3%BC%E3%A0
後に同社2代目社長となる河島喜好が設計・開発を担当し、発売に先立ち1951年7月15日に箱根峠越えテスト走行のテストライダーを務めた[5]。
本モデルは以下に示すモデルチェンジを繰り返し、月産台数をD型の最高160台程度から、当初は500台、1953年には2,000台、1954年には年間で32,000台まで増加させた
上司「すっごい速い!箱根
の峠も越えられる!!」
彡(^)(^)「やったぜ」
1952年 (昭和27年)
上司「未だ日本人は貧しく売れ筋はオートバイではなく原付や」
彡(゚)(゚)「はい。」
上司「だけど今の原付のままじゃ、エンジンの熱で火傷を負った、オイルが跳ねて服が汚れたりする」
上司「なんとかしよう」
彡(゚)(゚)「おかのした」
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カブ号F型
股下にあったエンジンを後輪に持ってくることで、火傷やオイルの飛び散りを防いだ。「白いタンクに赤いエンジン」のフレーズで飛ぶように売れた
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%9B%E3%B3%E3%80%E3%BB%E3%AB%E3%96
1953年
上司「友人のアドバイスで販売網を整えて、日本中でバカ売れや!朝鮮戦争特需で景気も良い!本社を東京に移すやで!」
上司「埼玉にデカイ工場建てるで!コレで日本のトップメーカーや!」
彡(^)(^)「やりますねぇ!」
鍋底不況「冷えてるかぁ~??」
しかし、朝鮮特需が終わり鍋底不況が訪れると、戦後200社を超えたバイクメーカーの7割が倒産や合併 撤退 を余儀なくされた。
1954年
上司「アカン…ウチも厳しいぞ」
上司「空前のスクーターブーム?ウチにも一枚噛ませろや!!」
上司「斬新なデザインのスクーター作れ!社運が掛かってるぞ!」
彡(゚)(゚)「おかのした」
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ホンダ ジュノオ号
大きなウィンドシールドに雨避けルーフで「全天候スクーター」を目指し、当時としては珍しくセルモーターも搭載。FRP製ボディにして軽量化を図ろうするが、ライバルより大きいボディにウィンドシールドの重量が足かせとなり、売れる事はなかった
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ホンダ・ジュノオ
客「重スギィ!!」
彡()()「」
彡()()「は~っ…(糞デカため息)」
彡(゚)(゚)『15億円の手形…いったいどうすんねん….』
上司「みんな聞け!」
彡(゚)(゚) 社員「?」
上司「我が社はマン島TTレースに出場するぞ!!」
マン島TTレース(マンとうティーティーレース、英:The Isle of Man Tourist Trophy Race )は、
1907年からイギリス王室属国のマン島(Isle of man)で開催されているオートバイ競技である。競技は世界最古の議会で『青空議会』としても知られる
マン島議会ティンワルドが制定した公道閉鎖令に基づき公道を閉鎖して行なわれる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%9E%E3%B3%E5%B3%B6TT%E3%AC%E3%BC%E3%B9
彡(゚)(゚)社員「…?」
彡(●)(●)社員『な…何考えてんだ?!会社が危ないのにレースなんて..!』
彡()()「ほっ…本当に出るんですか?」
上司「あぁ…決めた!」
上司「グズグズしてたら”世界”の技術レベルに置いてかれちまうぞ!」
彡()()「」
彡(゚)(゚)「おかのした…」
彡(゚)(゚)社員「…?」
彡(●)(●)社員『な…何考えてんだ?!会社が危ないのにレースなんて..!』
彡()()「ほっ…本当に出るんですか?」
上司「あぁ…決めた!」
上司「グズグズしてたら”世界”の技術レベルに置いてかれちまうぞ!」
彡()()「」
彡(゚)(゚)「おかのした…」
専務「やっと出ますか…”世界”に。」
上司「会社が危ないのはわかってるが..」
専務「こういう時だからこそ、会社には大きな目標が必要ですよ。」
上司「その通り!」
専務「だだし!」
専務「出るからには…勝ってください…」
上司「当たり前だ!負けるつもりで勝負する奴があるか!!」
専務「では、一度視察に行ってみては?」
上司「でも、帰ってきたら会社が無くなって….」
専務「そうならないために、私が居るんです!」
専務「その目でしっかり見てきてください!”世界”を!!」
言葉通り、専務の藤澤武夫は銀行や販売店との交渉をまとめ、会社はギリギリの所で倒産をまぬがれたのだった。
数日後・・・
専務「おや?社長から手紙が」
上司「6月14日、初めてレースを見たが、すごいものだ。いろいろと大いに勉強したが、また、自信もついてうれしく思う。会社のほうは苦労が多いと思うが、頑張ってください。」
彡(゚)(゚)「どうでした?マン島は?」
上司「凄いコースさ!予想以上!高低差約400m、海からの突風に山中の霧、コーナーは200を超える。そんな中をMVアグスタやノートンは170キロ以上で走り回るんだ!」
彡(゚)(゚)「はぇ~すっごい」
上司「まずは、日本初のオートバイレース”浅間火山レース”で国内トップメーカーの実力を見せつけるぞ!!」
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上司「さぁ!レースマシンの開発に掛かれ!」
彡(^)(^)「おかのした」
ベンリイC80「トッwトッwトッwブゥーン」
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ヤマハYA-1 「パァァア!!ペペペwww」
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スズキコレダ「パィィィン!www」
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上司「バカモン!!」
彡()()「すいません」
上司「まさか楽器屋にしてやられるとは…」
上位「お前たちが整備しないからトラブルが頻発するだ!!」(スパナナゲー
350cc、500ccクラスでは優勝、250ccでは惜しくも2位。
しかし、マン島出場を目指す125ccクラスでは、1位~3位をヤマハが”初めて出したオートバイ”YA-1(赤とんぼ)が独占。4位と5位にはスズキのコレダ号が入った。
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